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評価:
中川 正之
岩波書店
¥ 1,680
(2005-05-19)
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今日ご紹介するのは中川正之先生の「漢語からみえる世界と世間」。
"まえがき"に以下のような文章がありました。
本書では、千年以上も前に日本語に大量に流入してきた中国語である漢語と、根っからの日本語である和語との比較、あるいは現代中国語と日本で通用している漢語との比較を通して、逆説的ではあるがことばで語りつくせないことばのもつ奥深さを垣間見るきっかけを提供したい。
字体に違いはあるものの同じ漢字を使用する日本と中国。しかしそれぞれの漢字の世界は似て非なるもののようです。
例えば・・・
イメージの違い
「九牛の一毛」という中国語に由来する表現があって『広辞苑』には次のように記載されている。
(多くの牛の毛の中の1本の毛の意)多数の中のきわめて小さい部分。取るに足りない小事にいう。
「九」が単独の数字としては一番大きなものであり『多い』という意味を持ちうることは理解できるが、なぜここで「牛」が出てくるのか日本人にはわかりにくいのではないだろうか。
私が以前見ていた「茉莉花」という大陸の電視劇のセリフにも、この「九牛一毛」という言葉が出てきましたが、もし、この言葉を知らなかったとしても、漢字を見て更に文脈から類推すれば、たいていの日本人は意味を大きく取り違えることはないでしょう。しかし「馬の毛でも羊の毛でもなくどうして牛なのか?」という疑問に答えられる日本人はそう多くはないと思われます。この本によると、中国人には「牛」は全身が毛で覆われ、その毛が細く密であるという連想が働くそうなんです。それと同じ発想で「こぬか雨」のことを「牛毛雨」と言うそうですが、牛の毛の雨って、情緒がないし、なんか臭そうで私はいやです

。このように、同じ漢字を使用しているとはいえ、それぞれが、ある単語に対し抱くイメージはかように違うのですね。
「二」と「三」の間に切れ目のある日本語
他们両個人都去了
彼ら二人はみな行った。
これもなかなか興味深いです。皆さんもご存じのように中国語では「皆(みな・みんな)」と言う時、上記のように「都」を使います。しかし日本人の感覚では、「二人」の時に「みな」を使うことはありません。それを言うなら「彼らは二人とも行った」でしょう(この文章もちょっと冗長ですが)。どう考えても大人数(少なくとも三人以上)じゃないと、「みんな」という単語は使いません。
中国語は分析的
たとえば中国語の「門」について小学館の『中日辞典』では次のように断り書きをしている。
【門】『注意』<門>は基本的に「出入り口」であり、必ずしも独立した門や、建造物を指すとは限らない。家の玄関や乗り物、公園の出入り口も<門>である。
そうそう、これも日本人には分かりづらいというか間違いやすい単語です。日本人は「門」というと、例えば「東大の赤門」とか「武家屋敷の門」などのように左右に開く"あの門"を思い浮かべると思うのですが、中国語では「出入り口」や「玄関」のことも<門口>と言います。例えば廣東話で「ちょうど家を出たところ」というような時は「我[o岩][o岩]出[o左]門口」と言いますが、これは家の玄関のみならず、ビルの出入り口だったとしてもやはり<門口>です。漢字を知っているが故に日本語のイメージにとらわれて、中国語の正しいイメージがつかめない、そんなことも起こってしまうなんて、なんだか皮肉な話です。
さて、次は上位概念と下位概念の話。
体系を壊す外来語
日本語においても「酒」の下位概念として醸造酒、醸造酒の下位概念として「日本酒・ぶどう酒」のように分類を樹形図に位置づけることは不可能ではない。
しかし、ワインやビールが取り込まれると、この樹形図はたちまち体系性を失うことになる。現代中国語では、ワインは<葡萄酒>、ビールは<暑ヮ・gt;のように、前項が<葡萄>のような意訳であれ<暑ャsー>のような音訳であれ<酒>を付加するのを忘れない。
中国語のこのような体系性は音訳外来語が中国に流入するのを阻んでいる。国語政策に関与している言語学者周有光氏がかつて「我が祖国の言語には純潔性がある」と胸を張ったことがあるが、ことほど左様に中国語は外来語を拒否してきた。そういう中国人のメンタリティーと、一字一字を抜きがたく意味を持つ漢字という文字媒体が相乗効果を生み、外来語の定着を阻んできたことはもちろんであるが、上位概念から下位概念まで整然とした中国語の性格がさらに大きな障壁となっていることは注意されてよい。
この点、日本語は「おおらか」というか「懐が深い」というか・・なんでも受け入れてしまうため「無秩序」状態です。たとえば、映画のジャンルを日本語で言うと「ラブストーリー、コメディ(喜劇)、アクション、時代劇・・・」ですが、これを廣東話で言うと「愛情片、笑片(喜劇)、動作片、古装片・・・」になります。中国語が一貫して【ジャンル+<片>】の形をとるのに対して日本語は英語の「音訳」なのでカタカナが多いですね。
ただ「酒」に関しては例外を見つけました。「〜酒」という形にならないものもとして「威士忌(wai1 si6 gei2
)」があります。(括弧内は廣東話の発音。これは音訳なので「酒」の字が入っていません。普通話でもウイスキーって「威士忌(wei1shi4ji4)」ですよね?それとも「威士忌酒」の方が一般的ですか?)。
アダルト系?
中国語の<快楽>や<歓楽>は<生日快楽(お誕生日おめでとう)>や<歓楽的気雰(にぎやかで楽しそうな雰囲気)>のようにほぼ文字通りの意味である。<愉悦>も精神的な趣が強いが『楽しい』の意味である。(中略)『楽しい』系の語の中で「愉快、痛快」が口語の中に取り込まれ日常語化したことを除けば、その他の「快楽、歓楽、愉悦、悦楽」がアダルトビデオのタイトルまがいの語に特殊化したのはなぜなのだろう。日本人にとって『楽しい』ことはこういうことにつながるのだろうか。
つながるのだろうか?と聞かれても私も困るのですが・・・

確かに日本語の場合「快楽」とか「悦楽」は"そっち系"の匂いがします。なので「新年快楽(あけましておめでとう)」も最初に聞いた時ちょっと不思議な感じがしましたね。今ではもう慣れてしまいましたが・・。
などなど・・個人的に面白いと思った部分を数箇所あげてみましたが、中国語学習者でなくとも楽しめる本なので、是非ご一読を!
最後まで読んでくださって有難うございました。
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